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ステレオタイプな親

俺の親は、典型的なステレオタイプだ。

日本をよく知らない外国人が日本をイメージする際に、和服を着た若者たちが歩く渋谷のとなりに富士山が存在しているというような、単純な決め付け的思考や発想をする、それがすなわちステレオタイプだ。

それと同じように、俺の親は、「正しい家庭の築き方」といった教科書のようなものしか持ち合わせていない。
その教科書は、俺に言わせれば、安っぽい家族ドラマの台詞の数々を集めたものでしかない。
そして何かあるたびに、俺の親はここぞとばかりに、その教科書を引っ張り出しその台詞を棒読みするのだ。

たとえば、俺が少しでも反抗的な言葉を発すれば、「親に向かってなんだその口のききかたは!」だ。
たとえば、正月を迎えた際に必ず言わなければならないと思いこんでいる、「今年の抱負はなんだ」だ。

そういう親は、前述した教科書を見ながら、それらの台詞をただ棒読みしていれば理想的な家庭を築けるという、とんでもない勘違いをしている。
また、その教科書通りの行為によって悦に入り自己満足しているだけなのだ。

それに加え、俺の親は昭和一ケタ世代であり、典型的な権威主義者だ。
親は絶対的な存在であらねばならないという、やっかいな思想を抱いている。

ある時、俺は親と一緒にレストランに行った。
その際、店員からタバコを吸うかどうか問われた俺の親は、普段タバコを吸う俺に見向きもせず「吸わない」と言い放った。
あの時、せめて俺に向かって「吸うか?」の一言があれば、俺だってきっと禁煙席でいいと言っただろう。

そんな親が存在する家庭は、中身が無い見せかけだけの家庭になり、ロクなものにならない。
また、その子供も然りである。

実際、俺の家庭の食事時間は、テレビを点けていないとお通夜になってしまっていた。
談笑だとか世間話が、俺の家庭には存在し得なかった。

なぜなら、「正しい家庭の築き方」には、その項目が書かれていなかったからだ。
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