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物音

隣の部屋から聞こえてくる物音が、酷く気に障る。

俺のアパートの壁は薄いようで、隣の住人の咳払いの音さえ聞こえてくる。
今はなにやら周期的に、何か機械のようなものがうなりをあげている音が聞こえている。

それが何かはわからないが、俺の神経を逆なでるような物音だ。
俺は思わず壁を叩きたくなるが、なんとかこらえている。

今、俺の部屋は例によってラジオもテレビも何も点けていない全くの無音状態だ。
なので、ことさらその物音が際立つ。

俺は、少々神経が過敏になっているようだ。
段々腹が立ってきた。
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洗車

ここ数日は、極力カネを使っていない。

正確に言えば、これ以上使ってしまうとまたカツカツの生活に戻ってしまう。
もうガソリンも無いので、不毛なドライブも出来ない。

その代わり、毎日のように黙々と洗車をしている。
これならカネはかからない。

早朝に起床しウォーキングをこなし、その後洗車を行う。
これが、今の俺の生活の全てだ。

不毛なドライブよりかはまだマシなのだろうが、それとてやはり一人の虚しさがつきまとう。
奇麗になった俺のクルマを、称賛する人間はいないのだ。

それでも俺は、他に実行することを見い出せない。
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ステレオタイプな親

俺の親は、典型的なステレオタイプだ。

日本をよく知らない外国人が日本をイメージする際に、和服を着た若者たちが歩く渋谷のとなりに富士山が存在しているというような、単純な決め付け的思考や発想をする、それがすなわちステレオタイプだ。

それと同じように、俺の親は、「正しい家庭の築き方」といった教科書のようなものしか持ち合わせていない。
その教科書は、俺に言わせれば、安っぽい家族ドラマの台詞の数々を集めたものでしかない。
そして何かあるたびに、俺の親はここぞとばかりに、その教科書を引っ張り出しその台詞を棒読みするのだ。

たとえば、俺が少しでも反抗的な言葉を発すれば、「親に向かってなんだその口のききかたは!」だ。
たとえば、正月を迎えた際に必ず言わなければならないと思いこんでいる、「今年の抱負はなんだ」だ。

そういう親は、前述した教科書を見ながら、それらの台詞をただ棒読みしていれば理想的な家庭を築けるという、とんでもない勘違いをしている。
また、その教科書通りの行為によって悦に入り自己満足しているだけなのだ。

それに加え、俺の親は昭和一ケタ世代であり、典型的な権威主義者だ。
親は絶対的な存在であらねばならないという、やっかいな思想を抱いている。

ある時、俺は親と一緒にレストランに行った。
その際、店員からタバコを吸うかどうか問われた俺の親は、普段タバコを吸う俺に見向きもせず「吸わない」と言い放った。
あの時、せめて俺に向かって「吸うか?」の一言があれば、俺だってきっと禁煙席でいいと言っただろう。

そんな親が存在する家庭は、中身が無い見せかけだけの家庭になり、ロクなものにならない。
また、その子供も然りである。

実際、俺の家庭の食事時間は、テレビを点けていないとお通夜になってしまっていた。
談笑だとか世間話が、俺の家庭には存在し得なかった。

なぜなら、「正しい家庭の築き方」には、その項目が書かれていなかったからだ。
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価値観の押し付け

俺は自炊をしない。

正確に言うならば、出来ない。
そんな気力があったなら、とっくに実行している。

また、決してやらず嫌いでもない。
20代30代の元気だった頃は、それなりにやっていた。

だが今では、この部屋には鍋も無ければ器も無い。
コンビニに食料を買いに行くのが精一杯だ。

そんな俺に、しきりに自炊をすすめる人間もいる。
そんな輩の言う事は、俺から見ればただの価値観の押し付けにしか聞こえない。

自分がやって良いと感じたことは、万人もそう感じるに違いないという、荒唐無稽な考え方だ。
その本人は自覚していないと思うが、自分が中心に世界が回っていると勘違いしている、ただの愚か者だ。

また、たちの悪いことに、そういう奴はそれが善意だと解釈している。

俺は、そんなくだらない人間を蔑視する。
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