よりどころ
俺には、よりどころが無い。
多くの人間にとって、それは家庭である。
そしてそれは、何も気遣うことなく自然体でいられる場である。
だが俺にとってその場は、むしろ真逆な存在だ。
とてもじゃないが、安心してくつろげる場ではない。
ひどく窮屈で息苦しい場だ。
多くの人間にとって、それは家庭である。
そしてそれは、何も気遣うことなく自然体でいられる場である。
だが俺にとってその場は、むしろ真逆な存在だ。
とてもじゃないが、安心してくつろげる場ではない。
ひどく窮屈で息苦しい場だ。
2012-12-31 19:57
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空洞家庭
俺が育った家庭は、つぎはぎだらけで中身はスカスカの空洞家庭だ。
そんな、家庭と呼べない家庭には、祝いの場など存在し得ない。
俺は、そこに身を置くと息が詰まり、一刻も早くその場から逃れたくなる。
何十年もの歳月をかけ出来あがったその空洞家庭は、もはや修復不可能なのだ。
そんな、家庭と呼べない家庭には、祝いの場など存在し得ない。
俺は、そこに身を置くと息が詰まり、一刻も早くその場から逃れたくなる。
何十年もの歳月をかけ出来あがったその空洞家庭は、もはや修復不可能なのだ。
2012-12-31 18:22
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発症
中学高校のあたりから、俺は少しおかしかった。
クラスにいてもいなくても気が付かれない人間が、たいてい何人かはいるものだ。
俺は、まさにそういう存在だった。
それでもその時は、今ほど深刻に考えてはいなかった。
それが如実に現れてきたのは、大学卒業後初めて就職した会社だった。
その会社の入社時に行われたオリエンテーリングで、俺は激しい違和感を覚えた。
誰とも仲良くなれず、居づらかった。
仕事を始めてからも、俺の周囲には人が寄り付かなかった。
その傾向は、年を追うごとに顕著になった。
俺は、仕事の忙しさを理由にして、その違和感を感じながらも気付かないフリをしていた。
だが、そのごまかしも長くは続かず、完全に俺の居場所は無くなり、結局5年で退社した。
今思えば、俺はその頃から仮面うつ病だったのかもしれない。
クラスにいてもいなくても気が付かれない人間が、たいてい何人かはいるものだ。
俺は、まさにそういう存在だった。
それでもその時は、今ほど深刻に考えてはいなかった。
それが如実に現れてきたのは、大学卒業後初めて就職した会社だった。
その会社の入社時に行われたオリエンテーリングで、俺は激しい違和感を覚えた。
誰とも仲良くなれず、居づらかった。
仕事を始めてからも、俺の周囲には人が寄り付かなかった。
その傾向は、年を追うごとに顕著になった。
俺は、仕事の忙しさを理由にして、その違和感を感じながらも気付かないフリをしていた。
だが、そのごまかしも長くは続かず、完全に俺の居場所は無くなり、結局5年で退社した。
今思えば、俺はその頃から仮面うつ病だったのかもしれない。
2012-12-30 19:02
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わからない
人とどう関わればいいのか、わからない。
ありのままでいい、と言われてもわからない。
ありのままというのは、一体俺にとってどういうことなのか。
40歳まで曲がりなりにも社会に身を置き労働行為をし、その後7年引きこもり、やっと社会復帰したと思ったら1年でギブアップした俺だ。
そして俺は、今また引きこもっている。
こんな人間を、誰が相手にするものか。
俺だって、こんな状態の自分をさらけ出したくない。
もうドン引きされるのはこりごりだ。
本当に、俺はどうしたらいいのかわからない。
ありのままでいい、と言われてもわからない。
ありのままというのは、一体俺にとってどういうことなのか。
40歳まで曲がりなりにも社会に身を置き労働行為をし、その後7年引きこもり、やっと社会復帰したと思ったら1年でギブアップした俺だ。
そして俺は、今また引きこもっている。
こんな人間を、誰が相手にするものか。
俺だって、こんな状態の自分をさらけ出したくない。
もうドン引きされるのはこりごりだ。
本当に、俺はどうしたらいいのかわからない。
2012-12-29 18:50
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無視と無関心
俺は、人に無視されているわけではない。
無視というのは、能動的に視線をそらすという一種の行動だ。
それには、無視をする、という意識が働いている。
それに比べ、無関心というのは、何の意識も持たずにただ素通りするだけだ。
それは、決して行動ではない。
皆、俺の前をあるいは俺の中を素通りしていく。
俺は、人が無関心であるという対象なのだ。
無視というのは、能動的に視線をそらすという一種の行動だ。
それには、無視をする、という意識が働いている。
それに比べ、無関心というのは、何の意識も持たずにただ素通りするだけだ。
それは、決して行動ではない。
皆、俺の前をあるいは俺の中を素通りしていく。
俺は、人が無関心であるという対象なのだ。
2012-12-29 18:37
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ラーメン
価値観の押しつけの一例だ。
美味いラーメン屋があるから食べに行こう、などと誘われても俺は行かない。
どんなに評判な店であろうと、俺は行く気がしない。
たとえ実際に行ったとしても、行列を見ただけで俺はげんなりする。
それならば、となりの空いている牛丼屋に迷わず行く。
なぜ人は並んでまでその類の店に入ろうとするのか、俺にはさっぱりわからない。
そこまでして美味いラーメンを食べようとは、俺はさらさら思わない。
俺は、食文化をバカにはするが否定はしない。
好きな人はどんどん追求するがよい。
ただ、その愚行に俺を巻きこまないで欲しい。
たかがラーメン、たかがラーメンだ。
美味いラーメン屋があるから食べに行こう、などと誘われても俺は行かない。
どんなに評判な店であろうと、俺は行く気がしない。
たとえ実際に行ったとしても、行列を見ただけで俺はげんなりする。
それならば、となりの空いている牛丼屋に迷わず行く。
なぜ人は並んでまでその類の店に入ろうとするのか、俺にはさっぱりわからない。
そこまでして美味いラーメンを食べようとは、俺はさらさら思わない。
俺は、食文化をバカにはするが否定はしない。
好きな人はどんどん追求するがよい。
ただ、その愚行に俺を巻きこまないで欲しい。
たかがラーメン、たかがラーメンだ。
2012-12-29 04:13
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