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不自然な存在

何の気遣いも無く、自然体でいられる場が俺には無い。

この部屋が、それに値するのだろうが、あいにくこの部屋には俺以外誰もいない。

もし誰かがいたとしたら、俺はその時点で必死に自然体を装うだろう。

つまり、俺は他者といる限り、不自然な存在なのだ。
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ロジック

俺は、人とどう接していいのかわからない。
この歳になって情けない限りだが、本当にわからないのだ。

人は、当たり前に人と接している。
そのことについて、全く迷いなく自然に人と接している。

俺は、買い物などをする際でさえ、店員とのやりとりで息苦しくなる。
相手がこう言ってきたから、俺はこう返すのが自然だろうと、考えてしまうのだ。

要するに、いかに自然さを出していくかを思考し、俺は演技をしているのだ。
物心ついてから、約50年その作業を繰り返してきてしまった。

このロジックは、もはや崩しようがない。
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無音

最近、テレビを全くつけなくなった。

以前はこんな俺でも、ボリュームを最大限に絞り、当たり障りの無い落ち着いた番組をつけていた。
ニュースや天気予報などがその良い例だ。

しかし今では、それさえも耳触り目触りに感じてしまう。
この日記を書いている今も、聞こえるのは冷蔵庫とパソコンが唸る音ぐらいで、他は全くの無音だ。

一度、一日中無音状態で過ごしてみればわかると思うが、しんどい。
いや、今の俺の場合はしんどいを通り越して、それが当たり前になってしまい、逆に他からの刺激音を受け付けなくなっている。

明日もこの無音状態が続くのかと思うと、うんざりだ。
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シェア

最近よく「シェアする」という言葉を見聞きする。

誰かと何かを共有する、という意味だ。
その「誰か」が、俺にはない。

何か嬉しい事があっても、1人で自己満足するだけで、誰ともその喜びをシェアしていない。
誰とも会っていないのだから、当然の結果だ。

俺だって、何も好き好んでこんな孤立した生活をしているわけではない。
出来れば、誰かと共に喜び誰かと共に悲しんだりしたい。

しかし、約50年生きてきて培われた俺のこのコミュニケーション能力の稚拙さが、それを邪魔する。
50年は長い、あまりにも長過ぎる。

やはり俺は、ハンデを負った精神障害者なのだ。
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