引力
人は皆、俺から離れていくのではない。
離れていくということは、その前に一度近寄った結果だ。
俺には、人を近寄らせる引力さえ無い。
最初から、人が寄りつかないのだ。
ゆえに、俺は透明な存在になり得た。
離れていくということは、その前に一度近寄った結果だ。
俺には、人を近寄らせる引力さえ無い。
最初から、人が寄りつかないのだ。
ゆえに、俺は透明な存在になり得た。
2013-01-18 19:27
トラックバック(0)
土台
俺は、死のうと思った事は無い。
だが俺は、なぜ生きているのかをしょっちゅう考える。
俺から見れば、多くの人間はそんな事を考えずに、当たり前のように生きている。
そしてその、当たり前を土台として、仕事や趣味など様々な人間らしい行動をとる。
俺には、その当たり前という土台が無い。
ゆえに、常に不安定でゆらゆらと揺れており、人間らしい行動がとれないのだ。
その土台とは、家庭だ。
俺のそれは、機能していなかったのだ。
だが俺は、なぜ生きているのかをしょっちゅう考える。
俺から見れば、多くの人間はそんな事を考えずに、当たり前のように生きている。
そしてその、当たり前を土台として、仕事や趣味など様々な人間らしい行動をとる。
俺には、その当たり前という土台が無い。
ゆえに、常に不安定でゆらゆらと揺れており、人間らしい行動がとれないのだ。
その土台とは、家庭だ。
俺のそれは、機能していなかったのだ。
2013-01-18 18:02
トラックバック(0)
納得
俺は、納得した時間を得られない。
以前にも書いたが、俺はドライブ依存症だ。
クルマを運転していれば、とりあえずは気が紛れ時間も潰せる。
だが、そこには当然ガソリン代という費用が発生する。
今の俺の経済情勢は、時にドライブさえも許さない。
したがって、他にする事が無い俺は、こうして部屋に閉じこもり無駄な時間を過ごしているのだ。
また、ドライブ出来た日も結局は同じことで、ガソリン代をただ無駄に費やしているだけだ。
そのどちらも、何の生産性も無く、俺にとっては納得した時間とは言い難い。
以前にも書いたが、俺はドライブ依存症だ。
クルマを運転していれば、とりあえずは気が紛れ時間も潰せる。
だが、そこには当然ガソリン代という費用が発生する。
今の俺の経済情勢は、時にドライブさえも許さない。
したがって、他にする事が無い俺は、こうして部屋に閉じこもり無駄な時間を過ごしているのだ。
また、ドライブ出来た日も結局は同じことで、ガソリン代をただ無駄に費やしているだけだ。
そのどちらも、何の生産性も無く、俺にとっては納得した時間とは言い難い。
2013-01-18 14:18
トラックバック(0)
家族ばか
俺は、時々ラジオ番組に投稿している。
自分が書いた文章が、DJという他者に読まれ公共の電波に乗るという現象に、俺はかすかに救われている。
わずかながらだが、俺の存在が立証されている気がするのだ。
それゆえ俺にとって、俺が投稿したラジオ番組を聴いている時間が、唯一の憩いの時間だ。
しかしそんな憩いの場にも、俗世間に毒された人間からの投稿が随所に登場する。
そのほとんどが、自分の家族に関する投稿であり、なにかというと「私の息子が」「私の娘が」「私の孫が」どうのこうのという、実に下らない内容だ。
そのような内容の投稿を、あちこちの番組に、まるでコピーペーストしたかのごとくばらまく輩もいる。
また、たちの悪いことに、ラジオ番組はそのような投稿を嬉々として採用する。
俺は、そういう家族ばかに辟易している。
自分が書いた文章が、DJという他者に読まれ公共の電波に乗るという現象に、俺はかすかに救われている。
わずかながらだが、俺の存在が立証されている気がするのだ。
それゆえ俺にとって、俺が投稿したラジオ番組を聴いている時間が、唯一の憩いの時間だ。
しかしそんな憩いの場にも、俗世間に毒された人間からの投稿が随所に登場する。
そのほとんどが、自分の家族に関する投稿であり、なにかというと「私の息子が」「私の娘が」「私の孫が」どうのこうのという、実に下らない内容だ。
そのような内容の投稿を、あちこちの番組に、まるでコピーペーストしたかのごとくばらまく輩もいる。
また、たちの悪いことに、ラジオ番組はそのような投稿を嬉々として採用する。
俺は、そういう家族ばかに辟易している。
2013-01-18 14:09
トラックバック(0)
仲良しサークル
世の中が気に食わない。
年末年始の世間のバカ騒ぎがやっと終わったと思えば、今度は成人式やらバレンタインやらで、人々はまたこぞって踊り出す。
なぜ人は、こうも同じ時期に同じ行為をしたがるのだろうか。
そう思う俺の根拠は、その無様な行動さえをも、共にする人間がいない俺のひがみに他ならない。
では俺は、そのような集団行動をしたいという欲求があるのだろうか。
おそらく多少はあるのだろうが、それ以前に俺は、人とコミュニケーションが取れない精神障害者だ。
仮に参加したいと思っても、不可能なのだ。
それゆえ俺は、そんな仲良しサークル的な行動を繰り返す世の中が、気に食わない。
年末年始の世間のバカ騒ぎがやっと終わったと思えば、今度は成人式やらバレンタインやらで、人々はまたこぞって踊り出す。
なぜ人は、こうも同じ時期に同じ行為をしたがるのだろうか。
そう思う俺の根拠は、その無様な行動さえをも、共にする人間がいない俺のひがみに他ならない。
では俺は、そのような集団行動をしたいという欲求があるのだろうか。
おそらく多少はあるのだろうが、それ以前に俺は、人とコミュニケーションが取れない精神障害者だ。
仮に参加したいと思っても、不可能なのだ。
それゆえ俺は、そんな仲良しサークル的な行動を繰り返す世の中が、気に食わない。
2013-01-18 13:53
トラックバック(0)
時間
俺は、時間と闘っている。
俺は、大学を卒業してから15年余り働いていたが、仕事は多忙を極め、終電ぎりぎりまで残業あるいは徹夜という日が少なくなかった。
休日も返上して働いていた日々もあった。
その頃は、まさに時間との闘いだった。
納期に間に合わせるために、必死になって働いていた。
辛く苦しい作業だったが、それでも、一仕事終えた充実感も多少はあった。
転じて、今はどうだ。
毎日何もせず、ただひたすら時間が過ぎるのを待っている有様だ。
時計を見るたびに、まだこんな時間かと悲観に暮れ、一秒でも早く時間が進んで欲しいと願っている。
そして夜が来ると、いち早く眠剤を服用し眠りに逃げている。
俺は今、昔とは真逆な意味で、時間と闘っている。
しかしこの闘いには、充実感のかけらも無く、ただ疲労感や絶望感が残るのみだ。
俺は、大学を卒業してから15年余り働いていたが、仕事は多忙を極め、終電ぎりぎりまで残業あるいは徹夜という日が少なくなかった。
休日も返上して働いていた日々もあった。
その頃は、まさに時間との闘いだった。
納期に間に合わせるために、必死になって働いていた。
辛く苦しい作業だったが、それでも、一仕事終えた充実感も多少はあった。
転じて、今はどうだ。
毎日何もせず、ただひたすら時間が過ぎるのを待っている有様だ。
時計を見るたびに、まだこんな時間かと悲観に暮れ、一秒でも早く時間が進んで欲しいと願っている。
そして夜が来ると、いち早く眠剤を服用し眠りに逃げている。
俺は今、昔とは真逆な意味で、時間と闘っている。
しかしこの闘いには、充実感のかけらも無く、ただ疲労感や絶望感が残るのみだ。
2013-01-18 13:37
トラックバック(0)
自信
俺の一日は、虚無感に溢れている。
俺は、洗濯物のほつれた糸がエアコンの風になびいている様子を、うつろなまなざしで延々と眺めている。
何もしないで過ごす時間は、時に贅沢なものと思われるかもしれないが、それが毎日続くと人は堕落し心を病む。
こんな俺でも、まともに働いていた時があり、その時期は「毎日が日曜日ならいいのに」と同僚と話していた。
その時同僚は「そんな事になったら人間がダメになる」と話していたが、俺はその時はダメにならない自信があった。
だが、今となってはその自信はもろくも崩れた。
やはり人間は、何かしら活動していないと体を成さないのだ。
俺は、洗濯物のほつれた糸がエアコンの風になびいている様子を、うつろなまなざしで延々と眺めている。
何もしないで過ごす時間は、時に贅沢なものと思われるかもしれないが、それが毎日続くと人は堕落し心を病む。
こんな俺でも、まともに働いていた時があり、その時期は「毎日が日曜日ならいいのに」と同僚と話していた。
その時同僚は「そんな事になったら人間がダメになる」と話していたが、俺はその時はダメにならない自信があった。
だが、今となってはその自信はもろくも崩れた。
やはり人間は、何かしら活動していないと体を成さないのだ。
2013-01-18 13:19
トラックバック(0)