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不見

俺は、軽く見られている。

正確に言うならば、軽くという副詞は正しくない。
つまり、見られてもいないのだ。

俺と相対する人間は、俺は存在していないものと認識する。
したがって、俺は見られる対象にさえならないのだ。

やはり俺は、透明な存在だ。
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不必要

俺のような、向上心やチャレンジ精神の欠片もない人間を、社会は必要としない。
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繋がり

俺は、繋がっていない。

人は、人と繋がることでその力をいかんなく発揮する。
時には、その人間が持っている力以上の力を発揮する。

だが俺は、繋がっていない。
そしてただでさえ非力な俺は、まるで赤子のように泣き叫ぶだけだ。

いや、泣き叫ぶという力をも、俺はもう持っていない。
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内向き

俺は、内向きだ。

思考も行動も何もかもが、内向きだ。

外向きが全て是というわけではないが、たいていの場合内向きは非とされる。

そのような世間の風潮が、俺は気に食わない。
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拒絶反応

俺の家族は、家庭という安らぎの場を放棄していた。

正確に言うならば、見せかけだけの家庭を本物の家庭と無理矢理思い込み、ごまかしていたのだ。

ゆえに、あらゆる場面で俺の家庭は、その体を成しておらず機能していなかった。

にもかかわらず、今さら本物の家庭らしさを俺に求められても、俺は拒絶反応を示すほかない。
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口癖

俺はいつからか、口癖が出来ていた。

それは、「どうせ」だ。

どうせ俺なんて、何の役にも立たない人間のクズだ。

この口癖は、一生治ることはないだろう。
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問い

俺を、ひどく痛めつける問いがある。
それは、「お前は何が楽しくて生きているのか?」だ。

その問いを投げかけれらたならば、俺は返答に窮する。
楽しいことなど、何一つ無いからだ。

人は誰しも、苦しみ悩む時間があるが、それと共にそれを癒すあるいはそれを凌駕する、楽しいひとときがあるものだ。
そのひとときのために、人は生きられると言っても過言ではない。

だが俺には、残念ながらそのひとときが無い。
それが無ければ生きていてはいけない、などという法律は無い。

しかし現実には、俺のような人間は稀だ。
たいていの人間は、冒頭に記した問いに、何らかの答えを持っている。

今の俺には、答えようがない。
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日常

現在午後二時。
まだこんな時間なのか。

俺は今日も何も出来ずに、一人もがき苦しんでいる。
己の存在意義を全く見出せず、強烈な虚無感にさいなまれている。

もうこんな生活は、限界かもしれない。

いつ気がおかしくなっても、不思議ではない。
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