拒絶反応
ドライブを終え、帰宅してから眠りにつくまでの数時間さえ、俺には苦痛なものになっている。
今がまさにその時間だ。
俺は、テレビはもちろん、ラジオ、書籍類、その他ネット以外の媒体を全く受け付けない。
その唯一の頼みのネットも、最近は食傷気味であり、特にエンターテイメント系は見ることが出来ない。
その類の話題を見聞きすると、それを楽しめない自分に嫌気がさすからだ。
昔は、エンターテイメント大好き人間だった己が信じられないほどだ。
ゆえに俺は、今も無音の中でこの文章をひたすら書いている。
文章を書く時は、むしろ無音の方が集中出来るのだが、それ以外の時間において全くの無音な生活
は、沈黙音に押しつぶされてしまい、それはそれで苦の感覚を生む。
したがって、俺は仕方なくラジオをつけるのだが、喋り手が何を言っているのかわからないぐらいに
ボリュームを絞る。
更に、わざと周波数をずらし雑音を入れ、尚一層言葉が聞こえないようにしている。
つまり、意味がわからない言葉しか聞けないのだ。
少しでも意味がわかってしまうと、俺は拒絶反応を示す。
365日、24時間ヒーリング画像や音楽を流してくれる局が、一つぐらいあってもいいと思う。
今がまさにその時間だ。
俺は、テレビはもちろん、ラジオ、書籍類、その他ネット以外の媒体を全く受け付けない。
その唯一の頼みのネットも、最近は食傷気味であり、特にエンターテイメント系は見ることが出来ない。
その類の話題を見聞きすると、それを楽しめない自分に嫌気がさすからだ。
昔は、エンターテイメント大好き人間だった己が信じられないほどだ。
ゆえに俺は、今も無音の中でこの文章をひたすら書いている。
文章を書く時は、むしろ無音の方が集中出来るのだが、それ以外の時間において全くの無音な生活
は、沈黙音に押しつぶされてしまい、それはそれで苦の感覚を生む。
したがって、俺は仕方なくラジオをつけるのだが、喋り手が何を言っているのかわからないぐらいに
ボリュームを絞る。
更に、わざと周波数をずらし雑音を入れ、尚一層言葉が聞こえないようにしている。
つまり、意味がわからない言葉しか聞けないのだ。
少しでも意味がわかってしまうと、俺は拒絶反応を示す。
365日、24時間ヒーリング画像や音楽を流してくれる局が、一つぐらいあってもいいと思う。
2012-11-09 19:49
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