部屋と絶望と私
何やら聞いたことがあるような無いようなタイトルだが、今の俺をよく表している。
今日は特にずっと部屋にいるので、その感覚が強い。
まさしくこの部屋には、絶望している俺が存在している。
絶望という言葉をそう簡単には使ってはいけないのかもしれない。
よく、住む場所があるだけ幸せだよ、と比較論で俺を諭す人間もいる。
だが俺は、その論理は間違っていると思う。
なぜなら、絶望や幸せといった言葉の持つ意味は、人それぞれに異なるものだからだ。
たとえホームレスになってしまっても、自由気ままで幸せだと感じる人も中にはいるだろうし、裕福な家庭
にその身を置く人だって、実は心の中はすさんでいる人も中にはいる。
幸福と裕福は、全く異なるものだ。
したがって、俺のように住む場所もあり最低限の生活が出来るからといって、必ずしも幸せだとは言えない
のだ。
そしてもし俺の言っていることが間違っているとしたら、アフリカの恵まれない子供たちに比べれば日本人
は全国民が幸せだと言い切らなければならないことになる。
しかし現実はどうだ。
俺は言いたい。
自殺者が後を絶たないのはなぜだ。
今日は特にずっと部屋にいるので、その感覚が強い。
まさしくこの部屋には、絶望している俺が存在している。
絶望という言葉をそう簡単には使ってはいけないのかもしれない。
よく、住む場所があるだけ幸せだよ、と比較論で俺を諭す人間もいる。
だが俺は、その論理は間違っていると思う。
なぜなら、絶望や幸せといった言葉の持つ意味は、人それぞれに異なるものだからだ。
たとえホームレスになってしまっても、自由気ままで幸せだと感じる人も中にはいるだろうし、裕福な家庭
にその身を置く人だって、実は心の中はすさんでいる人も中にはいる。
幸福と裕福は、全く異なるものだ。
したがって、俺のように住む場所もあり最低限の生活が出来るからといって、必ずしも幸せだとは言えない
のだ。
そしてもし俺の言っていることが間違っているとしたら、アフリカの恵まれない子供たちに比べれば日本人
は全国民が幸せだと言い切らなければならないことになる。
しかし現実はどうだ。
俺は言いたい。
自殺者が後を絶たないのはなぜだ。
2012-11-17 12:35
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