家族ばか
俺は、時々ラジオ番組に投稿している。
自分が書いた文章が、DJという他者に読まれ公共の電波に乗るという現象に、俺はかすかに救われている。
わずかながらだが、俺の存在が立証されている気がするのだ。
それゆえ俺にとって、俺が投稿したラジオ番組を聴いている時間が、唯一の憩いの時間だ。
しかしそんな憩いの場にも、俗世間に毒された人間からの投稿が随所に登場する。
そのほとんどが、自分の家族に関する投稿であり、なにかというと「私の息子が」「私の娘が」「私の孫が」どうのこうのという、実に下らない内容だ。
そのような内容の投稿を、あちこちの番組に、まるでコピーペーストしたかのごとくばらまく輩もいる。
また、たちの悪いことに、ラジオ番組はそのような投稿を嬉々として採用する。
俺は、そういう家族ばかに辟易している。
自分が書いた文章が、DJという他者に読まれ公共の電波に乗るという現象に、俺はかすかに救われている。
わずかながらだが、俺の存在が立証されている気がするのだ。
それゆえ俺にとって、俺が投稿したラジオ番組を聴いている時間が、唯一の憩いの時間だ。
しかしそんな憩いの場にも、俗世間に毒された人間からの投稿が随所に登場する。
そのほとんどが、自分の家族に関する投稿であり、なにかというと「私の息子が」「私の娘が」「私の孫が」どうのこうのという、実に下らない内容だ。
そのような内容の投稿を、あちこちの番組に、まるでコピーペーストしたかのごとくばらまく輩もいる。
また、たちの悪いことに、ラジオ番組はそのような投稿を嬉々として採用する。
俺は、そういう家族ばかに辟易している。
2013-01-18 14:09
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