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無音

無音状態が続いている。

聞こえるのは、たまに外の車が通る音と、冷蔵庫の音ぐらいだ。
ラジオのボリュームを最大限に絞っても、もはや耳障りに聞こえてしまうようになった。

テレビなどもってのほかだ。
番組欄を見れば、楽しめと言わんばかりの番組宣伝文句があふれている。

俺は、何かしらの演出が施されている番組はとても見れない。
ドラマやバラエティなど、演出の塊だ。

ノンフィクションやドキュメンタリーでさえ、楽しませよう・悲しませようという演出が少なからずある。
俺はそのような演出を少しでも感じると、精神的に受け付けず疲れてしまうのだ。

かろうじてニュースや天気予報は、見ようと思えば見れるが、それ以外は全く見ることが出来ない。
要するに、今の俺の感情は砂漠のようなものだ。

今宵も、この無音状態の中でただ呆然と時間をやり過ごしている。
やりきれない、早く眠ってしまいたい。
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連休

世間は明日から三連休だ。

と言っても俺には何の恩恵もない。
恩恵どころか、かえって迷惑だ。

どこに行っても人であふれかえっているだろう。
俺が最も苦手とするシチュエーションだ。

友達・恋人・家族、皆こぞって行楽に興ずる。
俺にはそのどれもが存在しない。

もちろん俺のような人間は他にもいるだろうが、それは極めて少数派だ。
大方の人間は、ここぞとばかりに色めきだってエンジョイするのだろう。

俺は、そんな人間たちを横目で睨みながら、一人で存在するしかないのだ。
連休など、早く過ぎ去ってしまえばいい。
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すさんだ心

昨日今日をなんとか乗り切った。

明日は失業保険支給日なので、一息つける。
一時は1円単位で買い物をするほど困窮した。

もうあんな惨めな思いをするのはこりごりだ。
俺の心はただでさえすさんでいるのに、カネが無いという状況により尚一層その度合いは深まる。

世の中カネだけじゃないと言うが、今の俺にはそんなの奇麗事にしか聞こえない。
そんな事を言っている人間は、ある程度経済的に余裕があり、心を病んでいない人間だ。

愛とか平和とかだけでは、生きていけないのが現実だ。
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千円

銀行口座から千円だけ引き出した。

本来はもう手を付けられない状態なのだが、とうとう食うものにも困ってきたので仕方ない。
この千円で今日明日を乗り切らなければいけない。

明後日失業保険が給付されるが、今の俺にとっては十分な額ではない。
家賃その他ですぐに消えてしまう。

いち早く職探しをするのが筋なのだろうが、こんな俺には何も勤まらない。
なにしろ、何かしらの責任を負うことが耐えられない精神状態になってしまっている。

俺は、社会的弱者というより、社会的敗者だ。
惨めだ。
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精神医学の限界

今日は、月に一度の通院日だった。
通院と言っても、5分ぐらいの診察と薬を処方してもらいに行くだけだ。

俺は、もはや精神医学には何も期待していない。
たしかに薬は必要だが、その多くは睡眠薬であり、それが無ければ眠れないので服用するだけだ。
他の薬も明確に効いているという実感は無く、効いていたとしてもただ症状を和らげている程度だ。

薬を飲み続ければ、必ず精神的障害が取り除かれるわけではない。
腕を失った人間が、薬を飲み続けても新たに腕がにょきにょき生えてくるわけではないのと同じである。

俺は通院を始めてからこれまで約15年経過するが、俺の病は精神障害となってしまった。
認知療法やカウンセリングも幾度となく受けてきたし、二度の入院も経験したが、俺には効果が無かった。

このように、俺は過去の経験から、現在の精神医学レベルではどうにもならない事を悟った。
そして今後どのようにして、この障害と付き合っていくかを模索しもがいている最中だ。

その答えは全く見えていないが。
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金融危機

先日クレジットカードで給油した分が、無くなってしまった。

さすがにもう、カードは使えない。
使えないことはないが、これ以上使ってはいくら俺でもヤバイという危機感が発生する。

逆に言えば、これくらい追い込まれないと俺は自重できない。
それほど俺の今の経済状態は火の車だ。

今週末に失業保険が給付されるので一息はつけるが、焼け石に水状態には変わりない。
心がすさむ。
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日曜日

今日は晴天の日曜日、絶好のお出かけ日和だった。

俺はドライブ中に、よくコンビニを利用する。
食事もそうだしトイレもそうだ。

牛丼系チェーン店はなんとか入店出来るが、それ以外の、例えばファミレスなどには一人では入りにくい。
特に土日は、家族連れやカップルばかりで、とても入れたものではない。

一人でも堂々と入ればよろしい、と言われるかもしれないが、そういう人間に限ってたいてい誰かしら連れ
がいるのだ。
そんな、何もわかっていない上から目線の人間に、俺のこの一人の虚しさをとやかく言われたくはない。

したがって、俺は食事やトイレに行く際、選択肢はコンビニしかないのだ。
だが俺にとって最後の砦であるコンビニも、今日のような日には俺の目には眩しい光景が、わんさと繰り広
げられる。

土日あるいは祝祭日のドライブは、避けた方がよさそうだ。
俺は、平日の日中にコソコソと一人で活動するしかないのだ。
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消費癖

昨日は家にいたが、今日はまたいつもの不毛ドライブを敢行してしまった。
昨日クレジットカードで給油した分が、まだたくさん残っていたからだ。

俺は何事も、あると使ってしまうタチだ。
とっておく、という行為が出来ない。

カネに関してもそうだ。
50近くの男が、貯金ゼロというのはかなり問題がある。
貯金どころか、借金さえある。

少しでもカネに余裕が出来ると、俺は何かを消費したくなる。
このだらしなさは、おそらく一生治らないだろう。
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ハンデ

障害者は、何かしらのハンデを持っている人間とも言える。

身体障害者のそれは、手や足や視覚あるいは聴覚の、消失だったりする。
それに比して、精神障害者のハンデとは何かと問われると、明確な答えは見つからない。
実にあいまいな世界だと思う。

俺の場合を考えてみると、おそらくその答えの一つは「好奇心の消失」だろう。
このハンデは、経験してみないとわからない苦しさだ。

俺はクルマに興味があるはずで、実際多額のカネをそれに消費している。
さりとてそれも、他に好奇心をくすぐられる対象が無いゆえに、無理やり定義付けしているキライがある。

いずれにしても、このハンデはきつい。
何しろ、何も興味がわかない人間は、なぜ自分が生きているのかという疑問に必ず行きついてしまうのだ。
下手をすると、自死という結果をもたらしてしまうかもしれない。

俺は、今のところ死にたいとは思わない。
しかし、正直に言うと、積極的に生きたいとも思わない。
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部屋と絶望と私

何やら聞いたことがあるような無いようなタイトルだが、今の俺をよく表している。

今日は特にずっと部屋にいるので、その感覚が強い。
まさしくこの部屋には、絶望している俺が存在している。

絶望という言葉をそう簡単には使ってはいけないのかもしれない。
よく、住む場所があるだけ幸せだよ、と比較論で俺を諭す人間もいる。

だが俺は、その論理は間違っていると思う。
なぜなら、絶望や幸せといった言葉の持つ意味は、人それぞれに異なるものだからだ。

たとえホームレスになってしまっても、自由気ままで幸せだと感じる人も中にはいるだろうし、裕福な家庭
にその身を置く人だって、実は心の中はすさんでいる人も中にはいる。
幸福と裕福は、全く異なるものだ。

したがって、俺のように住む場所もあり最低限の生活が出来るからといって、必ずしも幸せだとは言えない
のだ。
そしてもし俺の言っていることが間違っているとしたら、アフリカの恵まれない子供たちに比べれば日本人
は全国民が幸せだと言い切らなければならないことになる。

しかし現実はどうだ。

俺は言いたい。
自殺者が後を絶たないのはなぜだ。
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